ジョー・ボールは1896年1月7日に生まれた。
愛想もなく威圧的で体の大きなジョーは酒場を営んでいたが、客からの評判はけしてよくなかった。
しかも、そんな評判の悪い酒場の評判をさらに悪く印象付けていたのは、
裏庭に広がるセメントで囲まれた池のワニ園。
そこには5匹のワニがおり、ショーと称してえさを与える時間に、
生きた猫や犬を与えるのを客に見せる
趣味の悪い男だった。
そこの酒場のウエイトレスの入れ替わりは激しくかったが、
もっぱらこの悪評高い粗暴で悪趣味なジョーに、
嫌気が差したんだろう、くらいの噂しかなかったのかもしれない。
しかも、この酒場の主のジョーは、ワニの悪臭への苦情を隣人から受けた際、
銃口を向ける凶暴な男でもあった。
しかし、1938年、この悪評は犯罪者として決定付けられる事態となる。
この酒場「ソーシャブル・イン」で働いていた、22歳のウェイトレスの失踪に絡んで、
ジョーの悪趣味が
この失踪に深く関わっているのではと疑問を持たれたのである。
それは、ワニ園に人間の手足と思わしきものを、ジョーが投げ込んでいたという
目撃情報からだった。
警官はこの事件には沢山の犠牲者がいるのでは、と重い腰を上げ捜査に踏み出した。
実際、この酒場の主ジョーと接触をもっていた女性の謎の失踪が次々と明るみにでる。
しかも失踪者はジョーの前夫人や元交際相手も含み、その数は12人に及んでいた。
ジョーに関わった女性が消えている不自然さは、銀行の現金が全く残されていること、
また、失踪時に近親者へ誰一人どこに行くということを告げてないことがあげられ、
ジョーに対しての嫌疑は深まり、重要参考人として連行する証拠としては、申し分ないほどの量になった。
だが、この事件は最悪の結末を迎える。
ジョーは1938年、任意同行を求めに訪れた警官の前で、
レジスター下から拳銃を取り出し、
自らの頭部を打ち抜き、自殺した。
その後の捜査で、事件に共謀し犯罪行為に手を貸していた元使用人から
事件の内容を聞くことができた。
(元使用人はテキサス州から逃亡していた)
元使用人の供述内容は、凄惨を極めていた。
ウェイトレスを殺害後、死体をバラバラにし、
証拠隠滅のためワニ園に投げ込んで死体をえさにしていたことを認めたのである。
殺害証拠は、元使用人が使っていた荷車から、犠牲者の残留物を取り出すことができたので
間違いないと断定された。
しかも、約20人の女性が犠牲になっていたというから、驚愕である。
が、結果として、ワニがその死体を食していたという事実までは証拠とはされなかった。
ワニからは何も検出されなかったのである。
しかし、遺体が見つからないということは元使用人の供述内容や、
目撃情報にほぼ間違いはないだろうと思われる。
全ての犠牲者では無いにせよ、ワニのえさにしていたことは事実なのだ。
共謀者と断定された元使用人は、後に刑務所へ送致。
ワニは動物園へと寄付された。
この凶悪極まりない男が、司法に裁かれることなく、
自らの手で、
死んでいったことに憤りを覚える事件である。
ワニ園に飛び込んだ自殺なら、そうは思わなかったかもしれないが。 |