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過去の作品
郵便物
理由のわからない悪戯に苛まされる、一人暮らしの女性。
加害者は誰なのか。郵便受けから始まる恐怖です。
 

  舌 (第1話)

夏の暑苦しい最中、教育ママだった僕の母は、僕を夏休みに
2週間のホームスティ(サマーステイ)をさせた。

そこは、テキサスの田舎町。
片言というより、ほとんどボディランゲージに近い僕のコミュニケーションでも、 そのホームスティが上手くいったのは、このホームスティに、 グループで参加していたからだ。
20人近い子供とその保護者、そしてそのホームスティをセッティングした海外留学の業者を合わせると、 その町にいた僕らのグループ(日本人)は、30人近くにもなった。
働き口の乏しい田舎の町で、この海外留学の受け入れはいい収入になっていたのだと思う。
僕がいた町は、本当に小さな田舎町で、農業が中心の土地であった。
日本のようにごみごみしてなくて、本当に地平線が見えるような広大な土地だった。
そこで、僕らは同じ10歳くらいのアメリカ人と日本人の男の子、大体10人くらいで遊んでいた。
内容は覚えてないが、秘密基地を作ったり、日本から持ってきた漫画やカードをみせたり、 野球をしたような気がする。
僕のホームスティ先には、女の子が2人いて、2つ上のニーラ、そして5つしたのアリエルだった。
二人とも肌が透き通るように白く、そして金髪でおとなしい女の子だった。
そのころ、外国人を見てきれいだという意識はなかった僕だが、2人は美人だったと記憶してる。
隣には、僕と同じ年のマーティンという男の子と、上に6歳も上の高校生のお姉さんがいた。
お姉さんのほうとはあまり会話をしなかったので、覚えてないけど、優しかったような気がする。
僕は、マーティンとその家にホームスティしていた雄太と、最後のほうはよく裏でバスケットをしたりした。

たった2週間しかな滞在しなかったが、1ヶ月も1年もそこにいたような気がする時がある。
それはたった3分ほどの記憶のためだ。
そして、あの日ことは鮮明に思い出すことができる。
そう、匂いまでも。
僕が滞在して、12日目のことは、生涯忘れることができず、たったこの場所でもその日のことを思い出吐き気がするのだ。

その日、僕とマーティンと雄太の3人は、刈り取られた畑の横の森に穴を掘り、タイムカプセルを作っていた。
もしかしたら、そのころには僕たちの英語力よりマーティンの日本語の方がよくできたのかもしれない。
すっかり日本通になっていたマーティンは、僕らとの思い出に宝物をその場所に埋める計画を快くうけてくれた。
その後は、しばらく3人で木に登ったりして遊んでいた。しばらくすると僕はトイレに行きたくなり、木から降りてホームスティ先の家に走って戻ることにした。
しかし、家までは走っても5分ほどかかる距離。
僕は我慢できず、まだ刈り取られていない麦畑の中で立ちションをすることにして、急いで身を隠した。
そうとう溜まっていた僕は、全て出し尽くすと、フーと大きく深呼吸をしてチャックを上げ、来た道を引き返し始めた。
黄色い僕の首ほどもある麦畑の中は、尿意から開放されると痒く嫌な気分になった。
ゆっくり歩き、もう歩道まで差し掛かったそのとき、ガサこそと背後から何か大きな動物が争っているような音が聞こえた。
立ち止まり耳を欹てると、それは畑の奥の方から聞こえる。
もしかしたら、何か見たことのない動物ではないだろうか。僕はそう思い、ゆっくりと身を屈めその音が聞こえる方へ歩きだした。
泣き声なのか、ウーウーと聞こえたり、金属音のようなものもする。僕はなるだけ、気配をけして歩みよった。
低い姿勢で、麦の茂みのなからその音の正体が見え始めた。
見えたのは、金色の毛だった。
目を凝らし視界を広げると、その光景に僕は愕然とした。

口を押え困れ仰向けに寝かされてる子供の上に、ごつい大人の手がしっかりと口を覆っている。その子供はアリエルだった。
白い肌は高揚し、赤くなっている。
きれいな顔は砂がつき、涙でぐしゃぐしゃに汚れている。
両腕で、口を押えてる手首を持ち上げようともがいて抵抗しているおり、アリエルの顔の中央には、数珠のようなものがぶら下がり小刻みに揺れていた。

身動きの取れない僕は、どうすればいいのか訳もわからなかった。
ただ、ただ事ではすまされない光景がそこにはあるが分かっていた。

『大人を呼んでこよう』金縛りから解けた僕は、ゆっくりとその上半身を翻そうとした。
左足をゆっくりと方向転換させ、踏み出したその時。
パキっ。
小枝の踏む音がなった。
小さなその音は、僕の気配を感じさせるには十分だった。
とっさに身が硬くなり、振り返る。
数珠は止まっている。
視線をおろすと、アリエル瞳は僕を見据えていた。

アリエルと僕は目が合ったのはその瞬間だった。
瞳の中は、確かに助けてと訴えた。

そして、何か大きな影が僕の背中を包む。
僕はアリエルから視線を上に上げた。
数珠が見えなくなったその瞬間。
僕は捕まるという草食動物のような本能で一直線にかけだした。
振り返らず、ただひたすら家を目指し走っていった。

家の中には誰もいなかった。
隣の家に事情を説明しに行きたい。助けを呼ばなくてはならない。
行かなければならない。

しかし、絶対に僕は見られたはずなんだ。
今、そこにアリエルを襲っていた何者かがいて、気配を殺し僕がでてくるのを待ち構えている。
そんな不安で、助けたい衝動と自己防衛の中で葛藤し、身動きがとれずにいた。
ドアの向こうの恐怖に完全に支配されていた。
そこが日本だったなら、警察に通報することもできただろう。
罪悪感で押しつぶされそうになりながらも、裏腹に体は小動物のように震え、扉のノブを見つめながら硬直していた。

小1時間ほど玄関の見える階段で震えている間、ずっと、早く誰か帰ってきて欲しい。ということだけを一身に願っていた。
アリエルを助けにいかなくてはならない。
僕は家に帰ってきたことを悔やんだ。
雄太とマーティンのところにいけば、今頃はアリエルの元へ行けたはずなのだ。
アリエルの顔だけがずっと頭の中から離れなかった。
しばらくすると、鍵の開く音がして僕は身構えた。

アリエルの母のウォーレンと隣の家の母親だった。
僕の顔面蒼白の顔よりも、顔色の悪いウォーレンは、僕に気づかず、ダイニングテーブルの椅子にこしかけると、大声で泣き伏せた。
隣りの家のマーティンの母親も、僕に全く興味を示すこともなく、 その光景を見つめていた。
僕は、2人がいる位置へと距離を縮めながら、声をかけるのをためらった。
どうしていいのかわからず、ダイニングの2人を見つめていると、やっとマーティンの母親の方が僕に視線をうつした。
足を踏み出し、アリエルのことを伝えようと近づくと、マーティンの母親は手を横に振 り、向こうに行くように合図した。
もう一度足を踏み出し、言葉を発しようと口を開きかけたとき、ウォーレンが顔を上げ、マーティンの母親に絶叫のような叫びでまくし立て始めた。
その言葉のなかで聞こえたのは『アリエル』という単語だけだった。

そのとき、僕は察知した。
アリエルを助けられなかったことを。


その後10分ほどして警察官とアリエルの父ロジャー、そしてニーラが帰ってきた。
20分もすると家の外も騒がしくなっていた。
僕はその間、呆然と階段で震えていた。
伝えないといけないことは沢山ある。が、僕にはその言葉がどうしても出てこない。
そして何より、体が動かなかった。
でも、震える足に力を込めて立ち上がり、日本語の話せる人を見つけようと外にでた。
一番最初に見えたのは、ボランティアで参加している大学生だった。
僕が声をかけるより先に、僕をみつけた彼はすぐに歩みよってきて、肩に手をかけた。
「大丈夫だったか?何が起きたのか分かるかい?」
僕の顔を覗き込み、ゆっくりと語りかける。
「・・・あ、は、はい」言葉がでてこず、震えは更に酷くなっていた。
家の周りには、パトカーと隣人、ホームスティしている日本人で囲まれていた。
薄暗くなっていた夕日の逆行で僕はチカチカと目の前が真っ暗になり立ちくらみをした。
膝が落ちかけ、姿勢の崩れる僕を支えながら大学生は
「どうした?大丈夫か?」と僕を揺らした。
体制を立て直した僕は、無意識に
「はい、何があったんですか・・・」と問いかけた。的を外れている言葉だってことは承
知していた。
「しらないのかい?」
大学生は、驚いたように僕の肩を握り締めた。
彼の力の入った指先に痛みを感じ、我に返り僕は慌てて彼を見つめ
「い、いえ、知ってます。ア、アリエルのことでしょうか?」と言った。
「そうだよ。」安心したように、僕の問いかけに応じる大学生、肩の痛みは感じなくなっ
た。
「・・アリエルはどうなったんですか」
僕から目をそらした。
数秒の沈黙。
「・・・・、畑で殺されていたみたいだ」
空をみつめ、重々しくつぶやいた。
『殺されていた』
僕は体らか血の気が引くのを感じた。
アリエルの瞳がフラッシュバックのように同時によみがえる。
僕のせいだ・・・・。
僕は呼吸を止め、項垂れた。
「・・・・」
僕の驚愕の表情を察していたのか、しばらく大学生は僕をただみつめていた。

「ショックだろうね」
僕の肩を抱きしめると、小さく大学生はつぶやいた。
「・・・・・」
「今日は、雄太の家にいくといい。僕が話してあげるよ。なんなら僕の宿泊先に来るかい
?」
「・・・今日はここには泊れないんですか」
何故、そう思ったのかわからないけど、どうしてもこの家にいなくてはならない。
しかし、大学生は首をふると、
「話できる状況じゃないよ。言っちゃ悪いけど・・・君は今は関わらない方がいい」
と僕を諭した。

大学生は僕を導くように、隣の民家へ歩き出す・・・。
パトカーの赤い点滅が僕の顔を行ったり来たりした。ここにきて初めて見た人の群れの中
を、
ゆっくりと歩き、セメントでつくられた歩道から、隣の庭先の芝生を踏んだとき、
唐突に僕は足をとめた。
このままでは、いえけない。
そう思った。
急に足を止めた僕にあわせ、大学生も立ち止まったとき。
「・・・でも、でも、僕見たんです」
と、僕は地面を見つめてつぶやいた。
そう、僕には責任がある。
「何を?」
大学生は、立ち止まったまま俯いている僕の目線にあわせ腰を落とした。

「アリエルが殺されるところ・・・を」
大学生の瞳が突然真剣なものに変わった。僕の両肩に手をかけ、しっかりと僕を見据えて
揺さぶる。
「・・・どうして先にいわないんだ!!何を見た?」
荒々しく野太い声で、僕を怒鳴る大学生。
「は、犯人は見てないんです。ただ、アリエルが襲われてて、ぼ、僕も襲われるかもっ
て」
自然と涙が溢れていた。
怖かった。大学生がではない。
アリエルに起きた悲劇と、僕の罪、そして何より、僕の目の前で行われた惨劇を口に出
し、
今日の僕の記憶を認めるのが怖かった。
「犯人の特徴とか覚えてないのかい?」
泣きじゃくる僕をなだめるように、しかし冷静に大学生は僕を見つめていた。

「男の人、数珠が見えました」
あの数珠だけは忘れられない。アリエルを殺したであろう犯人は確かに数珠をつけてい
た。
「数珠?」大学生は首を傾げる。
「僕の位置からはアリエルしか見えなくて。でも、数珠が見えたんです。アリエルの顔の
上に」
そういうだけで、あの畑の映像を生生しく感じ、唇が震えるのを感じた。
「・・・わかった。犯人は見てないのかい?」
「・・・ごめんなさい。」
涙は止め処なく溢れ、記憶という罪の意識がぼくを包む。
「いや、いい、僕からこのことは警察に話しておくよ、君は休んだ方がいい。雄太の家ま
で一緒に行こう」
「で、もしも、犯人のこと思い出したら絶対に僕に話すんだよ。これは重大な事件なん
だ。」

雄太がステイしている隣の家には、マーティンと雄太、そしてマーティンの姉がいた。
僕の背中越しにマーティンの姉と、大学生が英語で話しをしている。
内容は、今日僕を預かってくれるように言っていることは明確だろう。
雄太は、嗚咽を上げて泣きじゃくる僕を不思議そうにみつめた。
もしかしたら、僕がステイ先で何か悪戯でもやらかし叱られ追い出されたのでは、という
平和な発想でもしているような
そんな様子さえした。

雄太の家につくと、マーティンと雄太がソファに腰掛けた僕の横を、はさむように座っ
た。
「大丈夫か?」
雄太は、まだ首をかしげている。
僕は、しゃっくりをしながら首だけ動かし頷いた。
「何で泣いてるんだよ」しばらくし、僕のしゃっくりが止まりかけたころ雄太が何気なく
きいた。
そのとき、雄太は何もしらないということが不思議でならなかった。

雄太と僕の間に溝ができてる気がした。
当たり前なのだけれど、何もしらない雄太はオレンジジュースを片手にトレーディング
カードを眺めていた。
その姿と先ほど起こった僕の記憶とのミスマッチングさで、雄太がとてつもなく冷静に見
えた。
何もしらないだけなのだけれど。

しばらくし、落ち着きを取り戻しはじめた僕は雄太に
「アリエルが殺された」ことを告げた。
そして、僕が用をたしに行っていたときに見た惨劇から今までのこを、全て話した。
雄太はそれを驚愕さと、好奇心をもって耳を傾けた。
全て聞き終わったあと、雄太がつぶやいた言葉を僕は一生忘れない。

「いいじゃん、何もなくて。明後日にはもう帰るんだぜ」

雄太は何気なく僕を励ますつもりだったんだろうが、僕はその言葉で「アリエル」を本当
の意味で見捨てる。
という行為を再認識したのだ。
そう、僕は明後日には帰る人間だ。

あまり寝付けなかった翌朝、僕たちを海外留学へ連れてきた同行者である会社の責任者
「萩本」さんがやってきた。
彼はまだ30代そこそこで、顔は童顔だったけど頭が薄くなり僕からするとだいぶおじさん
に見えた。

萩本さんは、雄太のステイ先の主であるマーティンのパパと話を5分ほど交わすと僕をよ
んだ。
「智裕くんおいで」
手招きする後ろには、アリエルのお父さんの姿が見えた。
昨日のことを聞きにきたのだろうか。
大学生が僕が目撃した事実を報告したに違いない。
僕は、下唇を噛みしめて覚悟を決めると、寝ぼけ眼の雄太をみることもなく、玄関へとむ
かった。
明るい日の光の下で、昨日より幾分冷静にいられる自分を感じていた。
萩本さんは、僕の背中に手を添えると、
「ダンさんと握手して、お礼を言って」と言った。
「お礼・・・」と疑問がわきながらも、疲れたようにひきつるロジャーは既に右手をだし
ていた。
差し出された大きな手を握り返し、赤く白いロジャーの手を見つめた。
しばらく黙っていた僕の背中を、萩本さんがスイッチを入れるように軽く押した。
「・・・・サンキューヴぇリーマッチ」僕は訳がわからず呟く。
そして、その言葉をきいて萩本さんと、ロジャーは僕の頭の上でなにやら少し話し。
5mほど離れた車に僕を誘導した。
緑の大きなバンば開くと僕のリュックとトランクが既に積み込まれていた。
ロジャーは小さく「バイ」といい、僕の頭をなでた。
それは、優しくはあったが、どこかぎこちないものだった。
車に乗せられると、萩本さんが声をかけてきた。

「ごめんね。ビックリしただろ。」
僕は後部座席でただ頷いた。
何が起きたのか、まだ理解できなかった。
警察にでもいくのだろうか。僕は不思議でならなかった。
「あそこのお嬢さんが、事件に巻き込まれてね。君をスティすることが困難になったん
だ」
「はい」
それは昨日の大学生の言葉でもわかっていた。
そして僕は目撃者でもあるし、見捨てた人間でもある。
あの家には到底いられないだろう。
「で、雄太くんのお宅にいるのもあれだから、ホテルを取ったんだ。今日1日だけだけ
ど、そこに泊まってもらうから」
車はどんどんとロジャーの家から離れていく、閑静な住宅街からそこは人ごみのある町へ
と差し掛かっていた。
不安がどんどん押し寄せた。僕から何か事情を聞いたりはしないのだろうか。
「警察には?」
しばらくし、僕は重たい口をあけた。
萩本さんはバックミラー越しに僕を一瞬確認し、聞き返す。
「警察?どうして」
訳が分からなかった。大学生は何も説明してないのだろうか。
「・・・・」
このままでは・・・雄太の言葉が頭を過ぎった。
「アリエルのことで・・・」
僕がその名前を出した瞬間、萩本さんは遮り
「君はもう関係ないよ。関わらないほうがいいこともある。あとは現地の人が解決する
よ」
と釘を刺すように言った。
「でも・・・」
重苦しい空気が車中を包む。
「忘れなさい」
車が小さなホテルの前に横付けされると同時に、萩本さんはそう僕に告げた。
それは命令のようにも、脅迫のようにも聞こえた。

1日、ボランティアの人たちが僕の気を紛らわせるためなのか、町を連れまわした。
郊外にいた僕からするとそれは新鮮だったし、不謹慎だが楽しくもあった。
海外の都会の空気は2週間で初めてのことだった。

夕食を終え、夜半すぎ、ボランティアの人たちが僕をホテルの部屋まで送ると
「明日8時半には迎えに来るから、今日で身支度しててね」
と念を押された。
一日中連れまわされて、くたくただったが、その間も僕は「アリエル」の話題を何度か口
にした。
しかし、ボランティアの人たちも一様にその話題に触れることをさけ「忘れなさい」と呪
文のように繰り返した。
どうしてなんだろう。

ロジャーの大きな手を思い出した。
アリエルを失い、さよならを告げたロジャー。
僕は彼女を助けることができなかったことを、しらないのだろうか。
このまま本当に帰っていいのか。
考えながら、疲れのためか、僕はすぐに深い眠りについた。

空港では、お祭りのように盛り上がった日本人の一団の中から、僕は身を隠すように静か
に距離を置いていた。
雄太に見つかったり、他の同じ年の顔見知りの子と話すが何故か嫌だった。
心は、やるせない気持ちで複雑だった。
どうすればいいのか頭の中は、まだごちゃごちゃと渦巻いていた。
修学旅行のように先導され、前後を守るように大人が僕たちを見張って僕らは飛行機に乗
り込んだ。
あと約1日中には日本に到着する。
そう思うと、虚無感やあの出来事から2日しか経っていないのに、現実におきてないこと
のようにも思えた。
狭い座席に腰掛けると、和気藹々と騒いでいる団体と僕の位置が、やや離れていることに
気がついた。
後方を振り返ると、雄太や他の日本人の子供は3座席ほど後ろに固まっていた。
隔離されている。
そう感じさせられた。
前後を知らない外国人に囲まれ、僕の隣は空いている。
そのほうが僕にとっても都合がいいかもしれない。

窓越しに他の飛行機や荷物の積み込み作業を見つめた。
『もう忘れよう』何もなかったことにしてしまえば、楽だ。
僕の背後にどさっという音が聞こえた。
振り返ると僕の横には、あの日の大学生が座っていた。
シートベルトを確かめながら、僕ににこっと微笑みかける。
僕は視線を落とした。
「どうした、元気ないね」
「いえ」首を横に大きく振った。
僕は大学生とここで会うのは避けたかった。
彼を見るとどうしてもあの日の夜を思い出した。

僕らは飛行機が飛び立つまで無言のままだった。
このまま無言でいられたらどんなに良かったかと今なら思う。
しかし、飛行機が上昇し機体が安定し、しばらくすると大学生が口を開いた。
「名前言い忘れてたよね。智裕くん」
明るい声だった。
「ああ・・はい」そっけなく僕は俯いたまま応えた。
彼はそのまま、気さくさを前面に押し出して、
「僕は今井だよ」と自己紹介した。
「はい・・・」鬱陶しい怒りさえもち始めていた。
あの日の僕を知っていて、」どうしてこんなにも明るく、何もなかったように話しかけら
れるのか、意味が分からなかった。
僕の沈黙はそれらへの抵抗だった。
だけど、今井は、へらへらしながら世間話を口にし、それは止まらなかった。
「帰ったら何をするの?」とか「学校かいつから?」とか日本に着いてからの未来を語るの
だ。
うんざりしていた。
その間も僕は、なま返事をしながら、無神経さに腸が煮えくり返っていた。

しばらくすると、今井も空気を読んだのか話しかけなくなっていた。
やがて、機内食が配られる頃、パッケージを開ける僕の横で今井は何か考えるように、動
かなくなっていた。

そして、唐突に何故か神妙な面持ちで静かに
「・・・今回のこと、君は不思議に思っているだろうね」
と、低く小さな声で話しかけはじめた。
「・・・何がですか」僕が一番知りたいことを今井は語り始めた。
「君がなんで事情をきかれなかったのかってこと」
「なんでなんですか」
そう、幼い僕にはどうしてもその謎が分からなかった。
「君がこの事件に関わると、収集がつかなくなるんだ。君は長期にわたって向こうに拘束
されるかもしれないし、
この短期留学システムさえ危うい・・・」
僕は雄太の言葉を思い出した。
「・・・・・・・・・・」
「それに君は犯人をみていないし。」
今井はプラスチックフォークを回しながら、呟くように言った。
「・・・・・・・・」
「なかったことにしたんだよ。」
「なかったこと・・・」
僕はロジャーの右手を思い出した。
弁当に涙が一滴落ちた。

「・・・・アリエルって子には不幸だったと思う。」
今井の口調は、何か物語りを語るようだった。
「殺されて・・・」
「そう、アリエルって子は綺麗な子だった。本当に将来も楽しみだったのに・・・」
「・・・・」
「彼女はあの畑で、首を絞められて殺害されてた」
「・・・首を」
僕はそれを想像し、胸を押さえた。張り裂けそうだった。
黄色い葉の生い茂った畑にもがくアリエル。
僕は目を瞑って唇を噛みしめた。
「そう、レイプされて」
「6歳の小さな体には、刃物での刺し傷もあったそうだよ。」
髪の毛がぐしゃぐしゃになりながら、必至で抵抗していた泥だらけの顔。
幼い青い瞳。
何もかも現実だ。

「・・・・」
「・・・大丈夫かい?」
「・・・・・・」
僕の体は震え、アリエルの瞳を思い起こさずにはいられなかった。
「アリエルは・・・アリエルは・・・」

「彼女に何が起きたのか、全部聞くかい?」
今井の言葉に僕は深く頷いた。
それが使命のような気がしたからだ。

飛行機は気流の悪いところを飛行しているらしく、機体は激しく揺れていた。
周囲は少しざわついていたが、僕には今井の声しか聞こえなかった。

「レイプって言葉はわかるかい?」
僕は首を左右に振った。
「レイプっていうのは、無理矢理性交渉を行うこと。つまり、力づくでセックスすること
だ。」
セックス・・・。それは多少だが、知識はあった。
学校の保険体育の時間や、友達とエッチな本を見たことはあった。
ただ、そのレイプの意味はわからかった。
力づくでセックスをする意味。

「そう、君たちぐらいの小さな小学生くらいでセックスすることは、ほとんど不可能だ
し、
6歳くらいでは、それは拷問以外の何者でもないよ」
拷問。僕には想像もつかなかった。
「拷問。そう、苦痛だね・・・。ただ痛いだけ」
「痛いだけ」
僕は今井の言葉を繰り返した。
そしてアリエルの涙と泥にまみれた顔を思い浮かべ、ギュッと目を瞑った。
「君がみたのは、その場面だったのかな・・・」
「僕は・・・」
わからなかった。僕がみたのはただ、もがいているアリエルだったからだ。
「君が見たときはどうかわからないけど、犯人はアリエルをレイプした後、首を絞め
た。」
「君の腕くらいの細い首を。」
そう言って、僕の手首を今井は力を込めて握りしめた。
突然の行動に、僕は今井の手を思いっきり振り払った。
何故かその僕の過剰な反応に、今井は少し笑った。
「そして、そのまま、死体となったアリエルの口をこじ開けて、舌をナイフで切断し
た。」
その痛々しさに思わず、耳をふさいだ。
すると、今井は僕の耳から手を引き離し、唇を僕の耳元へ近づけて内緒話をするように小
声でつぶやいた。
『ちゃんと聞くんだ』と。それは蚊の鳴くような声だった。
背中に寒気がはしり、僕は恐ろしくなった。
僕が今井の顔を確認すると、さっきと変わらず無表情で僕を見つめる今井の姿がそこに
あった。
多分、僕は子犬のように震え縮こまっていたと思う。
今井は、しばらく黙り、キャビンアテンダントを呼ぶと僕と自分の分の飲み物を注文し
た。
流暢な英語で。

5分もしないうちに、僕にはオレンジが今井には赤ワインが配られた。
青い目をした白人のキャビンアテンダントは、僕ににっこりと笑いかけてくれた。
今井は、手のひらにすっぽり入りそうなワインのボトルをあけて、コップに注ぐとそれに
ソフトに口をつけた。
僕は、化学薬品の色に染まったオレンジの皮のような飲み物口にする気には、とてもなれ
なかった。

「犯人はね、多分、殺してから、アリエルの舌の切断と腹部への刺し傷を作るのに、10分
もかからなかったはずさ」
今井は、のどを潤して思いついたように、話始めた。
「舌をどうするつもりなんだろうね。」

その言葉は、自分に問いかけているようにも見えた。

今井はゆっくりとワインを口に何度か運ぶと次第に話をやめてしまった。
そして、しばらくすると寝息を立て始めた。

僕は、今井を起さないように、毛布に触れないように慎重に、今井の足を大きくまたぎ、
ゆっくりと席を離れると僕は廊下を見渡した。

萩本が、僕の座っていたシートから3列ほど後ろで談笑しているのが見えた。
僕はまだ少し揺れる機体をバランスよく小走りで走り、萩本の近くまで駆寄った。
若い女性スタッフとニコニコしながら、程よく顔を赤らめた萩本は、僕が近くに来たこと
を怪訝そうな顔でみた。
「どうした?」少し息の上がっている僕に問いかける。
「後どれくらいで到着するんですか・・・」
僕の問いかけにすかさず時計を確認する萩本。腕時計は金色に光った高価そうな大きな時
計だった。
「うーん、8時間ほどかな」
8時間。
まだこれだけ飛行機に、今井の隣にいなければならないのか・・・
「席って交換できないんですか?」
「交換?できないこともないけど。どうしたの?何か不満?」
女性ボランティアは不思議そうな顔で僕を見た。
僕はその問いかけに黙り込んだ。今井が嫌だとは何故か言えなかった。
「今井くんの隣だろ?」
僕は頷いた。
「今井くんがいいんじゃないのか?そう聞いたけど・・・」
萩本の言葉に驚いた。
「今井さんの隣が?」
「そうよ。今井さんが君が隣がいいっていってたって・・・ね、今井さん」
女性の目線を追いかけて振り向くとさっきまで寝息を立てていたはずの今井が僕の真後ろ
でニヤニヤしていた。
「そうだよ。僕が寝たからって・・・暇になってうろうろしだしたんだろう?」
今井はそういうと僕の肩に手をかけた。
「飛行機の中でうろうろすると迷惑だよ。」
萩本は僕を問題児のように叱った。

席に戻り、今井はもう一度キャビンアテンダントを呼んだ。
そして今度は自分のワインだけを注文した。
「もう、僕の隣から離れるのは止めたほうがいい」
今井はそれだけ言うと、キャビンアテンダントに愛想良く笑い、ワインに口をつけて黙々
と呑み始めた。

僕は黙ってそれを眺めていた。

飛行機が到着するまでの長い苦痛の時間が終わると、僕は荷物を受け取り、萩本の後ろに
金魚の糞のようにつきまっとった。
母親の姿を発見するまで、今井の姿を視界に入れないように萩本の背中だけを見つめた。

母親は僕の姿を発見すると、満面の笑みを浮かべて僕の頭を撫で回した。
「疲れてるでしょ」「楽しかった?」などと質問攻めで僕の体力を消耗させたが、何故か
いつもより母が懐かしく、そして大切に思えた。
車に乗り込み、シートベルトをしめてたった2週間なのに懐かしく思える車の匂いを吸い
込んだ。
母の好きなココナッツの香りの芳香剤。
「何か食べて帰ろうか?」という母の優しい言葉を遮るように
「眠たい」とつぶやいて僕はそのまま意識を失ったように眠った。
翌日、自分の部屋で目が覚めるまで。

残りの夏休み、僕はただ、机に向かい必至に宿題と勉強をしていた。
友達の誘い、両親の誘惑に負けずただ黙々と机にしがみついた。
時々母は、心配そうに「どうしたの?」と聞いた。
が、僕は何も応えなかった。
寝るときに、どうしても今井とアリエルの顔を思い出してしまう。
今井はどうして僕に執拗に話しをしたのか。
そう思うとき、やっぱりアリエルの最後の瞳を思い出してしまうのだ。

犯人は「舌」をどうするつもりなんだろうね・・・・。

その言葉を忘れるため、僕はただ机に向かっているだけだった。

中学生になり、私学に入り、母は僕が勉強が好きになったことをただ喜んでいた。
そのころ僕は、図書室で犯罪心理学の本を読み漁り、アリエルのように少女を狙った犯罪
について勉強し始めた。
それを読みながら、幼い僕では気がつかなかった重要な場面を思い出した。
重要な場面、それは僕が唯一目撃した犯人の肉体。
アリエルが、必至に引き離そうとしていた腕のことだ。

あの田舎町では、30人近くの日本人がいたが、ホームステイ先にいたのは15歳くらいまで
の日本人だ。
つまり、子供の日本人しかいなかった。
だが、あの大人の腕は白人のものではなかった。
あの地域では黒人は、ほとんど見かけず白人色の強い町だったので、
もしも幼かった僕でも、あの腕の色が黒人のものだったのならすぐに気がついただろう。
が、僕は自分が日本人だったため、見慣れたその腕の色に気がつかないでいたのだ。

僕がそのことを思い出したのは、犯人は一体誰だったのかを明確に探そうとした決意から
だった。
決意のきっかけは、女性ボランティアの吉澤さんとの偶然の出会いからだった。

彼女とは、市立図書館で再会した。
そう、飛行機の中で萩本と隣に座っていた女性だった。
気がついたのは、僕の方だった。
図書司書をしていた彼女に声をかけた、どうしてもあの事件のその後を聞きたかったから
だ。
日曜の夜7時半、早めに塾を切り上げた僕は図書館の前にいた。
もう図書館が閉まってから、30分が経過し、あたりには人気もなくなっていた。
同僚だろうか、年配の女性2人と「お疲れ様ー」と出てきた。
待ち伏せたように目の前にたった学生服の僕を見て3人はギョとしたような、驚いた表情
をした。
「どうしたんですか?」
年配の女性の一人が切り出した。
「あ、あの僕、青柳智弘です。」
3人は突然の自己紹介に面食らったように顔を見合わせた。
冷たい突風が急にふぶく、
「3年前・・・夏休み・・・」
と言いかけて、吉澤さんはやっと僕をおもいだしたように「あー」と手を叩いた。
「知り合い?」
年配女性は心配そうに、吉澤さんを見た。
「ええ、まあ」吉澤は複雑な表情で答える。
「あの、5分だけでいいんで、ちょっと質問に答えられませんか?」
吉澤さんは、僕の突然の訪問といきなりの申し出に瞬きを何回か繰り返し「いいけど・
・」と2人を見た。
「ほんと、少しだけでいいんで」
「そう・・・」吉澤は僕をもう一度上から下まで確認したあと、心配そうな2人の年配女
性に頭を下げて僕と歩き出した。
「突然すみません」
僕は二人が立ち去ったあと、気まずそうにしている吉澤に深くもう一度頭を下げた。
「そうね、ごめんね。全然気がつかなかったの」
吉澤はまだ、何事か分かっていない様子を隠そうとしているように、鞄をもう一度肩にか
けて持ち直した。
「そうですよね」
いざ、目の前に立って話かけてみるが、何をどう切り出していいのかわらなくなりしばら
く貝のように口を閉じ、駅へ向かう吉澤の歩幅にあわせ足を踏み出した。

歩みだし、5m程進んだところで沈黙をやぶるように吉澤が話しかけた。
「でも、よく私のこと覚えていたわね」
僕もそう思った。
図書館へは、英会話の本を借りに訪れた。
何回か来たことはあった図書館で、吉澤をみかけたのはほんの2日前だった。
今まで気がつかなかったのが、馬鹿じゃないかと思うくらい、あの飛行機の中の彼女と重
なった。
そして、昨日もう一度確かめてここに訪れた。
絶対に、見間違いじゃないと記憶が証明してくれたから。
「あの夏休みのことは忘れたことないですから」
僕がそういうと、やっと思い出したように、背中をすくめた。
あの事件に対していつまでも思い悩んでいるのは、ぼくだけだってことが改めてわかっ
た。
「そっか、だよね・・・」
しかし、吉澤が忘れていないということがわかり、安心したのも事実だった。
僕はすぐさま聞きたい事の確信に触れ始めた。
「あのあと、あの町に行かれたんですか・・・」
吉澤は何故そんなことをわざわざ聞くのか?と言った表情で僕をみた。
「どうして?」
「あの事件がどうなったのか知りたくて・・・」
「私はあのときもう大学3年生だったから、翌年は行ってないの。就職活動ってやつ。わ
かる?」
子供扱いしてることを強調するような語尾の上がり方だった。
僕は、カチンと来たが、あえて声や表情にはださず、
「わかります。」と小さく答えた。
「だから・・・あんまりあの事件のことはしらないの・・ごめんね」
「全く知らないんですか?」
駅の明かりがどんどんと僕らの周囲を照らし、吉澤のコートの色も鮮明にわかってきた。
しかし、これを逃すともう、吉澤は僕の質問に付き合ってはくれないだろうということも
分かっていた。
だから僕はあえて、食い下がるように、駅の入り口で足を止めた。
「うーん、私が知ってることは、あの町にはショートステイではもう行ってないってこと
かな。あの年を最後に」
「どうしてですか?」
「多分、町の人も受け入れがたいと思うの、私たちがいる間に起きた事件だし、何より、
あのあと犯人は見つかってないらしいし」
本人はその内容の重要性には気づいてない様子だった。
僕にとっては、驚愕の内容なのに。
「え、犯人はまだ見つかってないんですか?」
興奮した僕は、吉澤のコートを掴んで、引き止めるように食い下がった。
「うん、あんな田舎町でありえない話なんだけど、目撃情報もないしね」
僕の迫力にまけて、吉澤は駅に向いていた体を僕に向きなおし、ゆっくりと質問に答え始
めた。
「・・・・目撃情報?」
「そう、あんな狭い町で、目撃情報がないなんてね」
「・・・あの今井さんとかはどうしてるんですか?」
「ああ、今井さん?多分まだ萩本さんのところ手伝ってるかもね。就職も萩本さんの所で
するって言ってたし。」
「あの団体にですか?」
「ちがうわよ。萩本さんは別に事業もやってるし、結構事業家として有名なのよ。関連会
社じゃないかしら」
「そうですか・・・」
「そう、もともとあの二人昔からの知り合いみたいだし。」
もう、僕とも会話は終了よ。そう吉澤はサインを出し始めた。
「まあ、君が気にすることないわよ。犯人はきっと身内よ。だってあの町は白人の町だか
ら、よそ者がいたらすぐに分かるじゃない。」
吉澤の口調はさっきとは違い早口でまくし立てるようだった。
そして、それを最後に、吉澤は会釈を軽くして逃げるように駅の構内に小走りに消えた。
自動改札口を軽やかに、通り抜けてその姿が見えなくなる頃、

僕は思い出した。
僕が見たたった一つの犯人の一部「腕」。
それは僕と同じ色をしていたことを。

図書室で探していたのは、日本人が犯人だとしたら、犯人はきっと僕の知ってる人に違い
ないということだった。
そう、あの帰りの飛行機以来ずっと疑って離れなかったあの人物。
「今井」だ。
見るからに好青年で、背も高く英語も達者である彼が、何故あんな幼い子供を襲うのか。
僕は、「今井」という人物について深く心理を探ることで、事件を解き明かそうと考え
た。

僕が読み漁った心理学の本、犯罪の書籍に明記されていたのは、「性犯罪」の常習性と再
犯性。
性というのは本能なので、これを克服することは困難だということだ。
僕は、「今井」犯人説を立証し、あの日、アリエルを襲った事実を導き出すには、性犯罪
と今井を結びつける必要があった・・・。
でも、どうやって・・・。

僕はアリエルにとり憑かれていた、そうそれは体に変調も来たしていた。
「勃起不全」だった。
同じ年の同級生たちが楽しそうに女子の話をするとき、もしくは、性について赤裸々に話
すとき。
僕は言いようもない不快感に襲われた。虫唾が走り、アリエルの顔がちらつく。
女性の裸に嫌悪さえ抱いた。
しかし、女性が嫌いというわけではない。
ただ、性に対して恐れていた。
僕が犯人に取り込まれるそんな気持ちになるのだ。
背後から悪意に飲み込まれる感覚。
そして思い出すあの場所でのアリエル・・・・。

僕は萩本の事務所のパンフレットをあの日そのままにしておいたリュックから取り出し
た。
楽しそうに笑う子供たち、色々なカラーの瞳。肌。
どれも眩しく見えるが、胸が痛んだ。
中には、今までの留学先や団体の趣旨、そして、この団体を運営している理事の萩本の略
歴が掲載されていた。
萩本正巳。経歴は有名塾講師から大学の講師まで歴任し、しかも、不動産から建設業まで
3つの会社を運営してると書かれている。
その上にはにこやかに笑う萩本の姿。
留学制度で金儲けは難しいと、母から聞いた事がある。
しかも、萩本のところは会社として運営し、もっと受講料などを上乗せしてとり高いとの
こと。
あの団体は、年に1回ボランティアを中心に小中学生対象に行う海外留学制度をとってい
た。
きっと、本当に海外が好きか道楽でやっているのだろう。
その隣には、アメリカ、ニュージーランド、カナダ、オーストラリア等の英語圏を中心に
回っていると明記され、
それらの国の地方都市、しかも田舎に自然を感じながら語学や感性を学ぶと記されてい
る。
下には、僕が行った当時過去5年間で行った地方が記されていた。
僕が行ったあの町は、僕が行った年をあわせると3回行ったことがすぐに分かった。
あの年、あの事件が初めて行われたとすれば・・・・。
今井が行った海外留学先を調べると、何か分かるそんな気がした。

萩本の事務所は、僕の自宅からは乗り継ぎを含めて5駅先、時間で約1時間ほどもかかると
ころにあった。
年季の入ったビルではあるが、階数も高く、雑居ビルというよりオフィスビルのような建
物の3階。
「SHS自然語学セミナー」と明記された札がしっかりとエレベーター横に見える。
『今井がいませんように。萩本がいませんように』と僕は念じて、その団体のドアを押し
た。
ここにくるのは初めてだった。
以前は、母が勝手に決めており、僕が知ったのは夏休み始まる1週間前だった。

受付には若い女子大生風の女性が2人談笑している。
僕をみるなり、キャキャという黄色い声がトーンは鎮め、2人は全く同じ目の動きで僕を
上から下まで一瞬で観察した。
「どうかしました?」
不思議そうに声をかける女子大生。
「あの、パンフレットか何かないでしょうか」
小首を傾げるように、差し出したのは家にあったものと同じ表紙のものだった。
「これのことかな?」
「あのホームステイとかしてるって」
「ああ、あれは夏だけですよ。今はまだ受付てないから、それが去年のパンフレット」
中を捲ると、確かに3年分付け足した行き先や、写真の配置などが若干違っていた。
「中学生だよね」
僕にパンフレットを渡した女性が、何かを告げたいような素振りで話しかけた。
「ああ、そうです」
「あのね、今は小学生だけしかしてないの。」
「どうしてですか?」
「うーん、前は中学生までしてたみたいなんだけどね。理由はちゃんと私もしらないけど
・・・今は小学生だけなんだって」
中学生は、あの時までだったのだろうか。
女子大生はそういうと、席に戻り前髪を触りながら雑誌を広げた。
「あの、夏しかしてないのに、なんでここにいるんですか。」
「ああ、一応、ここ留学とかもしてるけど、一応サークルみたいな活動もしてるんだ。」

「サークル?」
「わかんない?そうね、英語がすきな人が英語だけで会話したりするために、集まったり
してるの」
「そうなんですか。」
「じゃあ、残念だけど、妹さんとか弟さんとかいたら来年宜しくね」
「あの、質問あんですけど・・・『今井』さんってきます?」

「『今井』?知ってるの?ここの団体の副理事よ。たまにはくるけど・・・。活動は夏中心
だから。最近は滅多にこないわよ」
「副理事?」
「何か伝える?」
「い、いいです」
僕は逃げるようにドアを乱暴にしめて、走って駅まで向かった。
パンフレットを握りしめて。

今井は今もあの団体にいた。しかも肩書きは副理事。
僕の中では、もうあの腕の持ち主。そしてあの数珠の持ち主は『今井』で断定していた。
家に帰りパンフレットを確認すると、確かに吉澤さんが言ったようにあの土地には足を運
んでいなかった。
しかも、同じ場所には2度と行っていない。
もしかしたら・・・。
僕は嫌な予感がして、その場所をメモにとった。

翌日から図書館を巡ったり、書店に足繁く通った。
僕のメモった。5つの土地で同じような事件がおきてはいないのだろうか。
毎年でなくても、たった1回でも。
調べて分かったことだが、この5つの土地は凄く田舎でマイナーな地域だということがわ
かった。
テキサスのあの村と同じだ。
しかし、そんな外国の田舎町のことなどどんな書物、文献にも載っていなかった。
やがて、進路や学業へと意識をシフトし、僕はすっかり大人になった。

もちろん、アリエルのこと。今井のことは心に刻んだまま。

どうしても人間と接することが好きになれないまま、大人になった僕は恋愛に対して、も
ちろん未熟であった。
女性とは、好意を持っても近づくことはしなかった。
見ているだけでも罪になるような気さえしていた。

仕事はIT関係に就き、フローチャートとプログラム作り。

人間が関係を、上手く築くことができないわけではない。
ただ、下世話な話が苦手な故に特定の友人関係を築けず、職場の人間全てと私生活では距
離を置いた。
そういう意味でいえば、転職だった。

しかし、IT関係を選んだのはそれだけが理由ではない。
ネットという世界では、全てが情報となって晒されている。
丹念に探せば、きっとアリエルの話にも今井の話にも近づくことができるのではないかと
考えたのだ。
そのためには、ITの知識も必要だと考えた末の職でもあった。

そして、遅い発見にはなったが、はやりそれはあった。
1990年8月テキサス州、少女の惨殺死体。

どこかの犯罪マニアの書いたサイトの中、小さな扱いではあったがその事件が確かに実在
したことを示していた。
そのカテゴリのタイトルは「未解決ファイル」。
犯人は、まだ特定されてないことを意味していた。

詳細は、僕が飛行機の中に今井から聞かされた内容と全く一緒だったけれど、
ただ、「唾液が傷つけられた腹部からも検出されたこと」は新事実だった。
このサイトでは、『傷を舐めたのか?』と疑問符も打たれていた。

そして、僕が知ったのはこれだけではない。
今井が所属している団体が行った地域で、少なくともアリエルの事件をあわせて3件未解
決ファイル。
女児のレイプ殺人が行われているということ。
遺体の一部が切断され、その部分が見つかっていないということだった。
僕にとって、これが、『今井』と『犯人』を結びつける決定的な情報となった。
何故なら、時期は8月。
カテゴリはやはり、「未解決ファイル」だからだろう。

今井は狡猾にも、海外で殺人を犯し、それを気づかれることなく今まで過ごしている。
怒りで頭がどうにかなりそうだ。
すぐさま、行ってあいつを殺したい衝動に駆られる。
僕は中学から、いや、あの飛行機の中から続いていた『今井』に対する不信感が本当の意
味で確定したときから、
ほとんど『今井』を殺害する妄想に支配されていた。

居場所は分かっている。
萩本を辿れば、例え今はあの団体と何の関係もなくても、絶対に特定できる。
今の僕にはその力もある。

一人ベンチに腰掛、僕は自販機を見つめ、決行の日を考えていた。
さっきまで、前に腰掛けていた後輩の残したタバコの火がまだ、くすぶっているらしく灰
皿からは薄い灰色の煙が一筋伸びていた。

「何を怖い顔してるんですか?」
穏やかな声と同時にぽんと肩を小突かれ、思わずキッと睨んだ。
その先には、戸惑ったように目を泳がせた同期の斉藤優子さんだった。

ごめん・・・」
「いや、ちょっと考え事してて、こっちこそごめん」
僕が笑うと少し、安心したように微笑んだ。
「すっごい怖い顔してたから・・・邪魔しちゃった?」
「いや邪魔してくれたほうがよかったよ。」
「コーヒー飲む?」
「あ、ありがとう。」
ちいさく、首を縦に振ると満足そうに、自販機に向かう優子の背中は、本当に普通の女性
だった。
普通。
その言葉がぴったりくる女性だ。
平均的な顔立ち、これといって特徴のないしゃべり方、きっとこの人はなんのトラブルも
なく生きてきたんだろう。
それを思うと、羨ましくもあった。
すぐに戻ってきた優子は、缶コーヒーを僕に手渡すと、自分用に買ってきたストレート
ティーを左手に持ち替えて
僕の横に腰掛けた。
「青柳くんってさ、いつも一人だよね」
優子は鞄からハンカチを取り出し、缶の口を丁寧に拭きならがら話しかけた。
「そうかな・・・うん、まあ、積極的な方ではないかも」
「そうか、寂しくないの?」
そう言ったあとの、優子の方が少し寂しそうに見えた。
「そうだね、寂しくはないかも。」
「強いね〜。あたし、一人暮らし長いけど未だに寂しいよ〜」
「強くはないけどね」
「そっか」
沈黙が二人を包む、周りを同僚たちが闊歩し始めた頃、それはお昼休みの終了時間だっ
た。
「邪魔してごめんね。またね、階が違うからなかなか会えないけど〜」
立ち上がり、手を小さく振った優子を見て自然と
「斉藤さん、じゃあ、電話番号教えてよ。」
と、僕から声をかけた。

とても、不思議な気持ちだった。
僕の殺伐とした心もしらず、本当に平凡な優子の振る舞いがとても心地よかったし、
その後姿がとても寂しそうで、声をかけずにはいられなかった。

そのときから、僕にとっては初めてとなる女性との交際が優子とスタートした。
優子は普通の女性だった。
ただ、冷静にみるとどこかとても臆病な女性でもある。
それは、具体的に一言では言えないけど・・・常に他人に不快感をもたらせないように努
力していることから垣間見れた。
そして、そのことは、僕と恋愛関係にあたって凄く心地よいことだった。

デート。
デートと言っても、同僚、仲間うちで親しい人なら誰でもするような、飲みにいくとか、
休みの日に買い物に行くとか、そういうありふれたことだった。
手を握ったりすることもあったけど、多分お互いの距離は拳一個分いつも離れていたよう
な気がする。
一人暮らしになった、雑然とした家の中。
DVDを鑑賞し、ビールを2〜3本空けながら普通ならそこで縮まる距離を僕はどうしても縮
めることができなかった。
互いにいい大人であり、多分、下世話な話なら・・・優子にはそれなりに経験があったは
ず。

畳の上、数センチ先の彼女の白い指にさえ、触れるのを躊躇った。
僕は勃起障害を克服することができなかった。
優子はそれを責めることはなかったけど。
やがて半年の付き合いののち、僕らは結果自然消滅のような形に近い形で別れた。

僕はホッとしながらも、どこか・・・やっぱりさびしい気持ちだった。
優子と会っているときは、どうしても性交渉をしなければならないというストレスがあっ
た。
しかし、彼女の肩を引き寄せようとすると、どうしても僕の腕があの時の腕とだぶった。
いつの間にか、あの時の犯人の腕と同じ位の太さになった僕の腕。

僕は、優子と別れて悩みはじめていた。
性交渉なく別れた僕らの交際は、いわば中学生のようなおままごとのような付き合いで、
もしかしたら、恋人とは言わないかもしれない。
そのことは、いい大人の彼女を傷つけたということを時が経つごとに解ってきた。

結局、何もあの時、アリエルの表情を見つめたときと僕の状況は何の変化も起してないこ
とがわかった。

今井を探し、どうしても会いたくなった。
理由はわからないけど、『犯人』であることをどうしても確かめずにいられなかった。
中学の時、吉澤さんと会いながら、事務所まで行きながら、ネットで他の犠牲者らしきも
のを確認しならがら、
僕がどうして今井に今まで接触しなかった理由は・・・。

恐怖だった。
僕は全速力で逃げて、階段横で蹲ったあの少年のまま。
今も、その状況から脱せずにいる。
一生、「性」におびえ、アリエルに罪悪感を感じながら、虚像の今井を憎み、疑うのは終
わりにしなければ・・・。

会社に有給を出し、僕はあのビルへ向かった。
そこの場所に行くのは15年ぶりだったけど、ビルに近づくに連れてその光景をはっきり
と思い出すことができた。
ビルにもう、あの団体の事務所はなくなってるのかもしれない。
という、不安はあったが、それは当時より少し、寂れ汚れた看板と建物の風景で払拭する
ことができた。
「SHS自然語学セミナー」。
他の真新しそうな看板からみると変色したその立て札は、時の流れを表していた。
擦りガラスのドアからは、明かりが洩れており、一目で人がいることがわかった。
目を瞑り、深く息を吸い、思い切ってドアを押した。

そこは、時がとまったような空間だった。
机の位置、パンフレットの置き場所。観葉植物まで全てが当時のまま、全く変化がない状
態であった。

ただ、違うのは、中年の男性が窓口にいたことだった。
体中から警戒が発せられる、電気のように脳へ伝達された当時の記憶。
「今井さん?」
意識せずに出た言葉に、僕自身が驚いたし、呼びかけられた男性も、首を傾げ不思議そう
に僕を見つめた。
少し間があいたのち、窓口の腰より上の高さの白い机から、たった背の高いその男性は
「もしかして・・・、サマーステイの子?」と問いかけた。
僕はただ頷いた。
その瞬間、今井はニヤリと笑った。
いや、大笑いをこらえての微笑みのようにも見えた。

「ここへおいで」
今井であろう、その中年の男性は、戸惑い立ち尽くしている僕を、誘導するようにパーテ
ンション奥へと手を差し出した。
ゆっくりと、カウンター机横から中に入り、パーテンションから裏の方へと進む。
中には誰もおらず、とても小さなボリュームでカントリーのような洋楽のBGMが聞こえ
る。
奥は20畳ほどの広さのフローリング、本棚が4つ連なり置かれ洋書が立ち並び、部屋全体
は白で統一されている。
6人がけのテーブルが真ん中にぽつんとあり、その横にはパソコンが置かれた事務用デス
クが2台あった。
「どうぞ、腰掛けて」
今井は、紳士的にイスをひき、僕を見つめた。
ペン立てとメモ以外は何も置かれていないテーブルの窓際に、僕が座るのを確認して、今
井は本棚裏に消えた。
3分ほどするとアイスコーヒーを2つ持ってきて、僕の目の前にコースターとアイスコー
ヒーを置いた。
「ミルクとかもいる?」
まるで、よく気が利くどこか資料館の職員のように、知的にそしてソフトに僕に気遣いを
見せる中年男性。
ただ、僕は首を振ることだけしかしなかった。
今井はお盆を、僕の目の前に腰掛け、自分の横のイスに置いた。

「名前が思いだせないけど・・・」今井はそういうと、気まずそうに笑った。
「青柳です。20年近く前ですけど・・・サマーステイに参加した」
そういって僕は、今井をまじまじと観察した。
本当にこの中年男性は今井なんだろうか。
紳士的で、背の高くハンサムは男性。
今井はこんな顔だっただろうか・・・。
「うん、覚えてるよ。テキサスだろ?帰りの飛行機。」
そういうと、男性は大声で笑い出した。
笑い声はその紳士的な面持ちからは想像できないほど、大きく下品に聞こえた。
「今井さんですよね」
僕は大笑いを止めるため、もう一度聞いた。
「そうだよ、よく名前覚えていたね。」
苦しそうに息を整え、そういうとアイスコーヒーに手を出した。

「君が来るのを待っていたよ」
コップを置いて今井が言った。
それは、さも物語を進行するナレーターのような・・・なんというか、気取った言葉だっ
た。
「あの事件は、僕も忘れることができなかったからね。多分、君もそうだろ?」
手を僕の前に組み、身を乗り出した。
少しイスを後ろに引き、距離をとってから
「今井さん。貴方が、あの事件の犯人なんですか?」
僕の最大の勇気だった。
「だったら?どうする?海外の・・・しかも20年近くの事件。今さら知ってどうする?」
「・・・わかりません」

重苦しい沈黙が流れた。
「『舌』をどうしたと思う。犯人は?」
今井は、空をみつめ何かを思い出すように、僕に語り始めた。
「『舌』はね。それだけでは何も話せない。しかし、『舌』がないと何も話すことはでき
ない。
でもね、私にはわかるんだ『舌』は私に何かを伝えようとしている。そして私に奉仕す
る。」
今井はそういいえ終えると、僕の瞳を突き刺すような視線で見つめた。
「私が『犯人』ではない。どうしてそう思うかはわからないけど。ただ、いい線はいって
る」
そういって、二口目のコーヒーに口をつけた。
「じゃあ、『犯人』を知ってるんですか?」
犯人じゃないという答えに動揺した僕は、席を立ち今井に詰め寄った。
今井は、全く動じずゆっくりとコップを置くと、
「『舌』がね。家にあるんだよ。あの少女の美しい舌が。」
そういって、また空を見つめる。
「どういうことですか?じゃあ、あなたが『犯人』じゃないですか!!」
僕は机を思いっきり叩いた。今井のその冷静な顔を本当は殴ってやりたかった。
「私が『舌』を持っていても、それは『犯人』の証拠にはならないよ。だって、私が殺し
たわけじゃない」
空を見つめたまま、今井は動揺を示さず言い切った。
「殺してない人間が、どうしてそんなものを持ってるんですか?」
「私はね、直接犯罪はしてない。そうできるようにしたことがあるけど・・・まあ、加担
したことは犯罪か・・・」
「どういう意味なんですか!!犯人じゃないだの、舌を持ってるだの!!!」
もう一度机を叩く、ペン立てがテーブルから落ちて、大きな音を立ててバラバラになるの
がわかった。
そして、今井は空を見つめながら立ち上がり、徐に僕に向き直り僕と同じように机をお
もっきり拳で叩いた。
「あのね!!生きてる人間には興味ないんだ。多分君も同じだろ?不能なんだよ。僕は!!だ
けど『犯人』は僕にいつもそれをくれるんだ!!」
睨みつける視線は、冷静さを失った人間だった。
「犯人を知っているってことですか?」
そういって、今井を食い入るように睨み返す。
10秒ほど賃沈黙の後、
「君も知ってるだろ?」と今井は笑って、イスに腰掛けた。
テーブルには倒れた2つのコップから、コーヒーが流れ、僕が来たときとは全く違う状況
になっていた。
「知らない、教えて下さい」
もう一度、今井に食い下がった。
「『舌』に賭けて話せない。『舌』がある限り話すことはできない」
そういうと、今井は高らかと笑った。
部屋が割れるような甲高い笑い声だった。
そこには、もう人間の今井はいなかった。
ただ、壊れた人間の残骸。狂気だけが残っていた。

部屋に着くと明かりをつけ、僕は考え込んだ。
今井は『犯人』ではない。
だが、今井は僕の知ってる人物が犯人だと言っていた。

脳裏に浮かんだのは「萩本」だった。
今井と一番接触している人物。
僕の知っている人。
その人は「萩本」しかいない。
アリエルを殺したのは「萩本」に他ならない。

ベットに腰かけ、薄気味わるい今井の表情を思いだした。
今井は、萩本の犯罪に加担してると言ったし、死体から切断された『舌』を持っていると
言った。
その告白した表情を思い出し、トイレに駆け込み胃の中の全てを出した。
どうして今井は『舌』を受け取ったのだろう。
とても、人間の精神では理解できない。
犯人に加担する理由は、その『舌』を報酬として受け取るためだとしたら・・・。

今井は言った。僕と同じだと。
「性的不能者」だと。

悪寒が走った。
その言葉の裏には、僕も今井と同じ人種だと伝えているそんな気がしたからだ。

翌日、どうするべきか悩んでいた。
テレビもつけず、一人今井を思い出す。

そのとき、携帯が鳴った。
それは久しぶりの優子からの電話だった。

それは、陳腐な嫌がらせの報告だった。
8ヶ月も前の彼女の声は、不安に満ちていたが、僕にとってはどうでもいいことだった。
だけど、昨日のあの衝撃から気分を紛らわすには効果的だった。
彼女がストーカーに狙われるとは到底思わなかった。
が、頼られるのは悪くない。
そんな気分もした。

しかし、優子に対する嫌がらせはエスカレートしていた。
明らかに犯罪の域にまで達するほど、もう陳腐だと言えなくなっていた。
「死ね」と抱えたメッセージを投げ込む犯人。
優子は怯えきっていた。

ここで彼女を助けないと僕は2度、人を見殺しにすることになる。
僕は、優子を守る決心をして家をでた。
彼女は安心したように、にこやかに家に招きいれた。
以前より、少し物が増えたように見える部屋。
しかし、綺麗に整頓されている。
驚いたのは、優子の姿だった。
寝ていたないのか、憔悴しきった表情、疲れているのかやや痩せてるようにも見える。
優子は、懇願するように自宅の固定電話の留守電に目線をやった。

久しぶりの再会のBGMとしては、最悪のメッセージだった。
優子を恐怖に陥れている男は、『今井』そのもののようなきがした。
気を紛らわせてやろう、そして僕も優子の前であの事件のことを思い出したくなかった。
だから、コンビニに酒でも買いに行こうと誘った。
優子は、何かに取り憑かれているかのようにボーっと僕の後ろを歩いていた。

コンビニの中でも、せっせと買い物をする僕の後ろを考え込むように俯き歩く。
『僕もこうなのかもしれない』と客観的に彼女をみている冷静な自分がいた。

ビールを何本かカゴに入れてる背後で、ドドンという何か大きな音がした。
静かなコンビニには不似合いの音。
音のする方角には、陳列棚が横倒しになっていて、それを店員と思しき若者が、じっと見
下ろしていた。
何が起きたのか把握するのに、時間がいらなかった。
陳列棚の横、音の原因となるものがあった。
それは倒れている優子だった。

店員を殴り、近くにいた人に救急車と警察を呼ぶように要請し、店員を抑えつけた。
状況を理解できないように、無抵抗の若い店員は、警察が来ても尚、呆然としていた。

意識を失い緊急病院に運ばれた優子の代わりに、僕は警察へ事情を聞かれた。
どうして、彼が彼女を殴ったのか。
僕にはわからなかったが、彼女の身の回りで起きた一連の悪戯と関連があることだけは確
かだと思った。
めんどくさそうに調書をとる僕と同じくらいの年の刑事と、ベテランの警察。

僕は、優子のことを話しながらどこかで、あの事件についても聞きたくなった。
「ありがとうございました。被害者には回復したらすぐにでも署まで来るようにご連絡願
いますか?」
お決まりの台詞のあと、応接室から廊下へ案内する2人の刑事に向き直り、
「刑事さんは殺人犯人とか捕まえたことありますか?」
僕の質問に、眉間を寄せる二人の刑事。
若い刑事は、何を言い出すんだ?このミーハーとでも言いたそうな目で僕を見る。
しかし、ベテラン刑事の方はこの質問には慣れっこだというような様子で
「ありますよ。回数はないけど・・・どうかしました?」
と優しく答えた。
「いや、殺人犯ってどんな人間なのかと興味があって。例えば、自分より弱い弱者に対し
て猟奇的な犯罪を犯す人間ってどんな人なのかなと。」
ベテランの刑事は、頭を少し掻いて考えるように黒目を右上にそらし、
「出会ったことはないけどね。まあ、弱者を狙うようなヤツは基本的に罪悪感とか反省と
かないヤツがおおいかな。」
「そうなんですか・・・・」
ありきたりの答えだ。
サイコ的人間が多いということだろうか・・・。
「まさか、知ってるのかい?そんな人?」
刑事はあしらうように言った。
「まさか、いいえ」
答えたあと、心の中で舌打ちをした。

優子の怪我はあまりたいしたことがなかったが、事件後のショックが大きそうだったの
で、僕は彼女に付き添って
警察署まで出向いた。
しかし、あの刑事にはどうしても会いたくなかったので、悪いと思ったが、中には入ら
ず、車の中で優子の帰りを待った。

冷静に考えると、優子のことで僕は始めて警察署に来たこと認識した。
そう思うと、結構人の出入りがあることに気づき、そして警察車両の少なさに驚く。
今はパトロール時間なのか・・・。
犯罪者とはあまりいないものなのかもしれない。
等とおもいながら、警察署の出口で見たことのある人間が目に入った。

萩本だった。

20年前と何一つ変わっていない風貌。
それはすぐにあの萩本だとわかった。
夫婦と思われる男女がひたすら頭を下げているその前に「萩本」は、あの日と同じく威圧
的に佇んでいた。
横には、中学生くらいの少女がいた。

排気ガスに匂いが漂う駐車場。
紫外線が突き刺さる真昼。
僕は車から降りて、夫婦と別れた萩本を追いかけた。
黒い高級車に乗り込もうとする萩本。
萩本に3mほど近づいて僕は、息を整えながら声をかけた。
「あの、すみません」
唐突だと理解していた。だが、どうしても声をかけずにいられなかった。
逆光で眩しく表情が見えにくいが、声をかけられて立ち止まった。
彼の表情が解る位置まで近づくが、萩本は今井とは違い明らかに知らない人間をみるよう
に僕を見た。
「あ、青柳といいます。萩本さんですか」
意外にも僕はとても落ち着いていた。
もしかしたら、どこか吹っ切れてしまったのかもしれない。
萩本は僕の名前を聞いてもピンとこない様子で、自分の名前を知ってる僕を不思議そうに
みた。
「そうですが?」
「僕、20年前テキサスでのサマーステイに参加した青柳です。覚えてないですか」
萩本の顔が変わった。
いや、変わったというより動揺を表情にだしていた。
「・・いや・・」
「あの事件の目撃者ですよ。幼女の殺人事件・・・最近、今井さんにも会ったんです」
僕はもう一歩萩本に近づき、彼との距離は手を伸ばせばすぐそばまで来ていた。
そうすると、さっきまで見えなかったが、あの中学生くらいの少女が助手席側で首を傾げ
て立っているのが見えた。
「ああ、あの時の。」
萩本は目を泳がせて、唇を噛むと、後ろを振り向き、車に乗り込まず様子を伺っている少
女にジェスチャーで中に入るように首で合図した。
少女は、黙ってドアを開けて車に入り、ドアを閉めた。
それと同時に僕は、萩本に核心部分に向かって話し始めた。
「そう、今井さんに会って話しをしました。」
少女が車に入ることで、少し冷静さを取り戻した目は泳ぐのを止めていた。
「で、何か?」
灰色の体型より少し大きめのスーツジャケットの内側からタバコを取り出し火をつけはじ
める萩本。
「失礼ですけど・・犯人知ってますよね」
タバコの火が赤みをまし、先から灰へと変わっていくのを僕は眺めていた。
「知ってる?・・・・ああ、知ってるよ」
萩本は僕に煙がかからないように、下にむけて長い煙を吐いた。
「誰なんですか?」
長い沈黙、ただ、萩本はタバコをふかしている。
僕はそれを視線をそらさずに見つめた。
「解るだろ?」
萩本はふてぶてしく言った。
「・・・・」
「もう、20年も前だよ。時効ってヤツだ」
そういって、肩をすぼめる。
僕は唇を噛みしめた。

「でも、貴方はあの団体を使って・・・被害者は一人じゃない」
そういいながら、何故か自然と涙が溢れてきた。
「よく調べたな」
わなわなと拳に力が入る。『殺してやりたい』。憎悪が血液とともに僕の体を循環した。
「・・・・許せない。許せない。どうして」
萩本は、飄々とした雰囲気で、タバコを地面に落とすと黒い革靴で踏みにじり、僕の目を
初めて見た。
「もしかして、お前も今井と同じか?」
眉をピクピクと上下させ、そういうと鼻でわらった。
「・・・・・」言葉に詰まる。
ただ、泣きながら震える僕をなだめるように、
「くだらない人間だ。関わるな、俺と関わったら今井になるぞ。あいつは変態だ。異常者
だよ」首を回しながら言った。
その言葉は信じられない言葉だった。『この犯罪者は自分がまともだと思っているのか』
呆れるより怒りと驚きで、頭がおかしくなりそうだった。
「あなただって同じだ!!」
ぼくは叫ぶように言った。
「・・・いや違う。理解できないだけだろ?欲望に赴くまま生きてるだけだ。不能にはわ
からんよ」
動じることなく、今井のように空を見つめ言い放つ萩本。
「幼女に対してそんなことするなんて・・・異常以外の何者でもない。理解なんてできる
わけない!!」
必至だった。それを理解させようとしている萩本を全身全霊で否定しなければならなかっ
た。
萩本は僕の言葉を飲み込み、少し考えて、僕を見下すように見つめた。
「言っておくけど、俺は弱いからとか小さいからとか、幼いからとかで搾取するわけでは
ない。理想だよ。理想。綺麗なものを壊したい欲望に
忠実なだけ。別にロリコンじゃないよ。あえていうなら年齢は関係ない。」
そう言って、萩本は車のキーをジャラジャラと弄った。
『きちがい』僕の目にはそう見えた。
この初老に差し掛かった、一見どこにでもいそうな成金ふうの男のくだらない欲望に命を
奪われたアリエルを思いだした。
「鬼畜だ!!」
声の限り怒鳴った。
拳を握り、こいつを殺してやりたいと本気で思った。
「なんとでも。悪いけど先を急ぐんでね」
しかし、萩本は僕の殺気には全然臆せず、車のドアをあけた。
ドアの奥から少女の瞳が僕を見つめていた。

「今でも・・・今でも・・やってるのか」高ぶる感情を抑え、目を閉じてドアを閉めよう
とする萩本へ最後の質問をした。
少女の隣で、動揺せず、萩本は当たり前のように、
「いいや、最近はどこの国でも厳しくてね。まあ、近場で済ませてる。」
そういって、ドアを閉めてエンジンをかけた。

僕の横をゆっくりと横切る黒塗りの高級車。
そして、1メートルほど進んだ位置で、僕に見えるようにバックミラー越しに舌で唇を舐
めて・・・
少女の座っていたシートの後ろへ手を伸ばし、バイバイと手を僕に振って再び走りだし
た。
助手席側のサイドミラーには少女の瞳が映っていた。

思い出す、最悪の光景。
いや、過去の情景と同じ現在の光景だった。
あの日の太い腕、助けを請う瞳。
『近場で済ませてる』
アリエルはそこにいた。

僕は逃げて震えていたあのときのままじゃない。
何もできず、怯え、事件の犯人に捕まることを恐れていたあの日の僕ではない。
恐れるのは『犯人』なのだ。

あの日の贖罪をするため。
アリエルをもう二度と見殺しにしないため。
やるべきことは見つかった。

バックミラーにかけられていたあの数珠がゆれていた瞬間。
僕は責任と覚悟を決めた。
少女の『舌』を守るために。


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