1952年12月21日インディアナ州に生まれる。
4人兄弟の末っ子として誕生。後に両親は離婚。
幼い頃から父親に過度の虐待を受け、二人の義父からも折檻されて育ち家庭を転々としていた。
最終学年は高校中退、職を転々としながらシカゴに移り住む。
アイラーは同性愛者だった。
男性しか愛せず女性には全く興味がなかったようだ。
性格は短気で粗暴な為、長く職続けられず時折働いては生活費を稼いでいた。
極度のサドで自分勝手なアイラーが初めて逮捕されたのは1974年22歳の時だった。
逮捕理由は、ヒッチハイクしていた青年に手錠をかけ刃物で切つけたという残忍な犯行だった。
連続殺人鬼へと変貌していくアイラーの狂気が伺える犯行である。
そして1982年連続殺人事件への最初の犠牲者をだした。
後の供述で明らかとなった犠牲者は全て男性、暴行強姦目的の犯行だった。
アイラーの犯行は正に猟奇的で残忍極まりないものだった
。己の性的欲望のままに犠牲者を増やし、レンタルビデオを借りるように殺人を犯していった。
男性を刺殺。
14歳少年を絞殺し放置。
19歳少年を32回刺し放置。
25歳男性殺害し放置。
21歳男性拘束された遺体で発見。
犠牲者の一人は17回刺され下着は遺体の足首まで脱がされていた。
又、首を切断されたままの遺体や、バラバラにされた少年の遺体等もあった。
拷問し強姦し、殺害し死体を損傷させる。
その犯行にはアイラーの猟奇的な心の闇が伺える。
警察はこれだけの犠牲者が、同一人物の犯行だと当初はわかっていなかった。
そのことを理解したのは犠牲者の中に生存者がいた為である。
(生存者は警察の追及を拒んで病院から逃亡)
焦った警察は懸賞金 500,000ドルをかけた。
遅すぎる判断である。
しかし、あっけなくアイラーは最重要容疑者として判断された。
きっかけは、ありふれた交通違反だった。
拘留されていたアイラーの履いていた靴と乗っていた車のタイヤ痕が、
死体発見現場のすぐ傍にあった痕跡と一致した為緊急逮捕。
(犠牲者の一人28歳の男性が、17回刺された後遺体を放置されていた現場)
この逮捕は、証拠を不正に入手した為アイラーは釈放される。
その後、アイラーが捨てたゴミ袋から少年のバラバラ遺体が発見され、
警察は山のように証拠書類を作成し、アイラーの逮捕へとこぎつけた。
(このときの遺体は15歳の少年であることが判明。)
最初の交通違反での逮捕から約半年後のことだった。
この殺人により1986年死刑判決。
死刑判決後、余罪について自供し、
仮釈放なしの終身刑への減刑を確約してくれるなら、
他の20件の殺人についても
詳細を話すと司法取引を求めたが、
認められず刑は確定した。
司法取引の材料の余罪については、共犯者がいたことも仄めかしていた。
薬物注射での死刑も決まっていた最中、
1994年3月6日死刑囚官房にてAIDSにより死亡した。 |