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ニュース-『事件・事故』
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事件を忘れないためのバックアップもかねています

2006年10月11日奈良小1女児誘拐殺人 小林被告に死刑

※10/12更新 

わいせつ目的で前科が決め手
控訴せず判決確定


奈良市の小学1年の女児(当時7)が16年11月
下校途中に誘拐、殺害された事件で、殺人やわいせつ目的誘拐など八つの罪に問われ、
死刑を求刑された元新聞販売所従業員、小林薫死刑囚(37)の判決までの詳細

-------------------------事件の詳細----------------------------
●事件の経緯
2006年11月17日午後1時50分過ぎ、小学校の通学路付近を
猥褻目的でうろついていた小林薫死刑囚。
一人で歩いている女児を誘拐するべく、じっと待ち構えていた。
被害者となった下校途中の女児をみつけると、優しく
「どうしたん。乗せて行ってあげようか」などと声をかけて車に乗せた。
約10キロ南の自宅アパートへ行き、忘れ物をしたなどと嘯き、
女児を言葉巧みに自宅へあげる。
自宅に入ってからは、女児のノートに文字を書いたりして、警戒感を薄れさせ、
関心やを引いたとみられる。(被告の自宅でランドセル押収した際、その中にあった練習帳に被告が女児の字をなぞった跡があった
そして、浴室につれていき女児へ猥褻行為をしようと及んだが、
「おっちゃんエッチ」等と女児が行為に対しての認識が思ったよりあったため、
犯行を隠すべく
午後3〜4時に、自室の浴槽に女児の顔をつけて水死させた。
女児の遺体は死後に傷つけられ(歯などが抜かれていた)、
農道脇の側溝のふたに座らされる形で

同日午後10時、同県平群(へぐり)町の道路脇側溝に遺体を遺棄。
(ランドセルなどは記念なのか、自宅に保管されていた。歯も同様ではないだろうか)

●逮捕までの異常な行動

遺体は翌18日午前0時すぎ、同県平群町の農道脇で発見。
女児の携帯から母親の携帯には、遺体とみられる写真と「娘はもらった」、
12月14日には「次は妹を狙う」とメールを送信していた。
2週間前から通っていたスナックにいつも一人で来店していた被告は、
女児の裸であおむけになっている遺体の写真をスナックの従業員らに見せて
「インターネットから送られてきた」等と自慢げに語っている。
そして、不安を隠しきれず自分から「疑われているかも」と漏らしていた。
時には「同僚には疑われてるので、すごく腹が立つ」と口にした。
普段は時々話をしたり、を歌ったりする以外は、 携帯をいじっていた。
時々饒舌に私生活ついて、「別れた妻との間に娘がいる。娘は女児と同い年」と話し、前妻の以前にも入籍していない内縁の女性間には「高校生になる娘がいる」
作り話を話すこともあった。
そして酒癖は悪く、過去、支払いが十数万円にもなったこともある。
携帯の遺体の写真は、同僚にも見せていた。

●逮捕の経緯と起訴まで
12月30日被告を逮捕。
逮捕当日も仕事は出勤していた。
家宅捜索で、携帯やランドセルなどの証拠品押収。
ロリコンビデオ約100本、ロリコン系の漫画雑誌、少女の下着や衣類が約80枚、
ダッチワイフ等も所持。
(下着は盗んだと供述している)
捜査の足がかりはやはり携帯に送付された女児の遺体の映った写真だった。
背景に自宅のカーペットなどが写っており、捜査本部はメール発信エリア内に殺害現場があるとみて、各戸に聞き込む「ローラー捜査」を展開。
自宅は遺体遺棄現場から約5キロ圏内にあり、決め手は女児の携帯から被告の
携帯へ遺体の写真を転送した記録だった。
犯行に使った車は同僚から借りたの濃い緑色の「カローラ2」。押収されている。
被告が使用していた携帯電話には、ネットから取り込んだ大量のわいせつ画像、携帯のカメラを使直接撮影された屋外ででの、女の子の顔や下半身など数人の幼い女の子の画像が写っていた。
この画像に関しては、事件前にも他の女の子の体を触るなどの猥褻行為を、行っていたことを自供している。

●死刑確定までの流れ
2005年4月18日、第1回の初公判が奈良地方裁判所で開かれ、
被告は起訴対象の8つの事件に関して「全て間違いはありません」と
起訴事実を全部認めた。
「反省の気持ちも更生の自信もない。早く死刑判決を受けて楽になりたい」
と供述していたことが明らかになる。

2006年9月26日、奈良地方裁判所において求刑通り死刑判決を言い渡した。
「被告人を死刑に処す」と告げられたとき、被告席に立つ口ひげ姿の小林被告は前を向いていた。
奥田裁判長は、犯罪事実について検察側の主張を全面的に認め、動機を「わいせつ目的での誘拐」であったと指摘。
「純粋無垢な女児の性格を利用した犯行は、巧妙かつ冷徹で極めて執拗で残忍であり、反省しないばかりか、血も涙もない非情な犯行で、酌量の余地はみじんもなく、生命をもって償わせるほかはない」と断じた。
裁判長被告に対し、「自分の犯した罪の重大性を真剣に受けとめるようにしください」
と求めると、被告は2〜3回首を振った。
弁護人前の自席に戻り座ると、薄ら笑いを浮かべ右手を握り、
腰の脇で数回振り、小さくガッツポーズした。
その後は目を閉じ、納得するように何度か頷いていた。
2006年10月11日午前0時を以って死刑が確定した。

-----------小林薫という殺人者について---------------

小林被告は大阪市住吉区で男兄弟(3人)長男として生まれた。
実家は燃料店を営んでいる。
小学4年のときに難産が原因で母親が死去。
中学卒業まで兄弟と父親、祖母の5人暮らし。
小林被告は母親の亡くなった際には「5時間以上泣いた」と書き残している。
その後、家では父親に放任され、祖母に甘やかされて育った。
学校では友達もいず、一人でいることが多かった。
子どものころから片方の目の視力が弱く、劣等感を抱いており、
高校時代にはいじめに遭あっていたことを弁護士に話している。
1987年大阪府豊中市の私立高を卒業後、大阪市の飲食店に就職、
トラック運転手をした後、新聞販売店に勤務。
一箇所に居つくことはなくいつも問題を起こし、(遅刻などでの解雇、購読契約を偽造し、店の金銭を持ち逃げ等)新聞販売店を転々としていた。
1989年、(20歳時)大阪・箕面で女児ら8人にいたずらをしたとして、強制わいせつ罪で送検執行猶予。 (土筆採りをしていた幼稚園児(5)に『こっちにたくさんあるよ』と団地の給水塔の裏に誘い猥褻行為に及んだ。
1991年には5歳女児の首を絞めたとして殺人未遂容疑で逮捕。(後ろから抱きつき、抵抗されたため首を絞めた。)
当時の『大人の女性に相手にされず、目のくりっとしたかわいい女の子にいたずらしたくなった』と供述。逮捕時にはロリコン雑誌やポルノを多数所持していた。
その後、2004年奈良女児殺害事件という悲劇を犯す。

------------------後述------------------------------
奈良女児殺害事件の小林容疑者が勤めていた新聞店は、
従業員採用時の身元の確認や、履歴書の真意性の確認を義務化した。
そして従業員の名札の義務付け、責任者2人に対しての
会社側からの処分等も下された。(管理責任)

2回目の事件から今回の事件に至るまで、多数の余罪があることは明確である。
もしかしたら、殺害されたのは1人ではなかった可能性も十分ある得る。
今回、被告の常習性、事件の悲惨さ、前科、そして言動などより、
被害者1人による異例の死刑判決が下された。
死刑が確定したことは、賞賛すべきだと管理人個人は考えているが、
死刑を自殺のようにつかう「池田小学校殺害事件の犯人宅間」のように、
反省も何もないまま、被告が死に向かうことは納得できない。
被告が人間であり、その思想までコントロールできないのは悔しく、
ただやるせなくなる。
そして、死刑判決の理由についても、前例や前科など何かの事件を参考した
結果というのは、裁判官の力量や裁量、職務の覚悟のなさが伺える。

子供を狙う犯罪は卑劣であり、性犯罪者の再犯率は高い。
メーガン法に習うという話題がいつもあがるが、解決策は未だ模索中といった感じだ。
いつまで、この手の犯罪を野放しにするのだろうか。
不愉快で不安であると同時に、宮崎勉という犯罪者が世に晒されて、20年経過しても
尚、幼児を狙った性犯罪者がこの世に存在する現実が、 現在の司法、行政の歩んできた結果であると思わざる得ない。

改善すべきは、法律ではなく、役人なのか・・・。

 

 

 
 
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